2026.06.28

ESSAY

好きになる順番

音楽は不思議な立ち位置にある。

ダサいからオシャレまでを内包しながら、文化としての地位も高い。アニメや映画、ファッションなど他の趣味と比べても、どこか特別な存在として扱われているように感じる。

なぜだろうと考えていた。

音楽には「理解しなくても楽しめるのに、掘ればどこまでも深い」という特徴がある。

流れているだけでも気持ちいい。

しかし興味を持てば、歴史やジャンル、録音や機材のスペック、時に教条的ですらあるコミュニティの文脈など、いくらでも奥へ進んでいける。

不思議なのは、それらを知ることで音楽が豊かになる一方で、時に音楽そのものから遠ざかることもある点だ。

本来は耳で聴くものだったはずなのに、気付けば知識を聴いていることがある。

誰が作ったのか。 どのレーベルから出たのか。 どんな歴史を持っているのか。 どんな人たちから支持されているのか。

もちろん、それらは面白い。むしろ音楽文化の魅力の大部分はそこにあるとも思う。

ただ、ときどき疑問になる。

本当に音を好きになっているのだろうか。

それとも、その周囲にある物語を好きになっているのだろうか。

そんなことを考えていた時、花火のことを思った。

花火を見ていても、作者の名前はほとんど気にならない。

誰が作ったのか知らないまま、 綺麗だな。 気持ちいいな。 と思う。

そこには評価も肩書きもない。

少なくとも最初にやって来るのは感覚だ。

その順番が好きだ。

もちろん、よく考えれば花火だって純粋ではない。

夏祭りの記憶や、子供の頃の思い出、過去の経験や憧れが混ざっているかもしれない。

夕焼けを見て懐かしく感じるのも、海を見て落ち着くのも、自分の中にある何かが反応しているからだろう。

人は何かを完全に純粋な状態で受け取ることなどできない。

感動の中には、いつだって過去の自分が混ざっている。

それでも花火や景色に惹かれるのは、作者がいないからではない。

作者を意識する前に、自分の感覚が立ち上がるからだと思う。

もっと言えば、作者よりも先に自分自身が現れるからだ。

音楽について語っていると、いつの間にかアーティストの話になることがある。

映画も、作品そのものより監督や時代背景の話へ向かうことがある。

服も同じだ。着た時の感覚より、ブランドや年代の話へ移っていくことがある。

もちろん、それらは作品を豊かにする大切な文脈だ。

けれど、ときどき作品そのものより大きく見えてしまうことがある。

一方で花火や景色について話している時、人は自分の話を始める。

綺麗だった。 懐かしかった。 少し寂しかった。 なぜか分からないけれど好きだった。

そこでは作者よりも受け手が主役になる。

同じ花火を見ても、同じ景色を見ても、人によって語る内容は違う。

見ているものより、見ている自分の方が前に出てくる。

もしかすると私が求めているのは、純粋な感覚ではないのかもしれない。

そんなものは最初から存在しない。

過去の経験からも、思い込みからも、人は逃れられない。

それでも、評価や文脈や知識が感覚より先に来ない状態はある。

まず心が動く。 理由は後から付いてくる。

その順番だけは守ることができる。

私が花火に惹かれるのは、その順番が残されているからなのだと思う。

知識や文脈を否定したいわけではない。

ただ、その前に感覚があってほしい。

気持ちいいな。 なんか好きだな。

そう思ったあとで理由を知りたい。

その順番だけは、失いたくない。