2026.06.19

NOTES

落ちていたスヌーピー

半年くらい前、落ちていたスヌーピーのマスコットを拾った。

かわいそうだと思ったから洗って、今はバッグについている。

どこにでもあるスヌーピーのマスコットだ。

中古屋に持っていけば値段はほとんどつかないだろうし、世間的に見れば特別珍しいものでもない。

けれど、自分にとっては違う。

そのマスコットには、落ちていたという事実があり、拾ったという出来事があり、洗ったという時間がある。

その物語が、そのマスコットを特別なものにしている。

考えてみると、人に対しても同じなのかもしれない。

私たちはよく、人の価値について話す。

かっこいいとか、かわいいとか、才能があるとか、有名だとか。

けれど本当に誰かを特別に感じる理由は、そんな共通の評価だけではない気がする。

たまたま出会ったこと。

同じ景色を見たこと。

自分だけが知っている表情があったこと。

そういう他人には説明しづらい、小さな物語の積み重ねが、その人を特別な存在にしていく。

人や物に絶対的な価値があるというより、価値は関係の中で生まれるものなのかもしれない。

それでも私たちは、価値を探すときに他人の目を借りる。

有名な人を魅力的だと思い、多くの人が良いと言うものを良いと感じる。

それは不自然なことではない。

けれど、いつの間にか自分の感じ方よりも先に、世間の感じ方を見てしまうことがある。

本当はもっと、自分だけの価値があってもいいはずだ。

誰にも理解されなくても気になるもの。

誰も見向きもしないのに好きなもの。

うまく説明できないけれど、大切だと思えるもの。

けれど私たちは、その感覚さえ誰かに確かめてもらいたくなる。

本当に価値があるのか。

自分の感じ方は間違っていないのか。

そんなふうに。

でも、落ちていたスヌーピーのマスコットを見ていると、価値とは案外もっと勝手なものなのではないかと思う。

誰かが決めるものではなく、自分が感じるもの。

世間が見つけた価値ではなく、自分だけが見つけた価値。

そんなものを大切にできたらいい。

それは少し心細いかもしれない。