2026.08.02

ESSAY

言葉にならない嫌悪

昔から、理由の分からない嫌悪がある。

「嫌い」とも少し違う。

もっと説明のつかない引っ掛かりだった。

だから、その感情を考えたことがなかった。

考えようとすると、その感情が先に思考を止める。

嫌悪しているものを、わざわざ見に行こうとは思わない。

ずっとそうだった。

引っ掛かるものには、なんとなく共通点がある。

誰かを下に置いた笑い。

いじめの延長にあるような空気。

性的なものを笑いとして消費すること。

でも、不思議なのは、それら全部が嫌なわけではない。

同じような場面でも、何も感じないことがある。

逆に、少し条件が違うだけで急に受け入れられなくなることもある。

その違いは何なんだろう。

線は見えていた。

でも、それを描いた手は見たことがなかった。

これを考えた日も、最初は何も変わらなかった。

ただ眠かった。

頭がぼんやりしていた。

普段なら嫌悪が先に来る。

「嫌だ。」

それで終わる。

その日は終わらなかった。

「なんで嫌なんだろう。」

その問いだけが、嫌悪より少し早く動いた。

最初に浮かんだのは家族だった。

家族が人前で恥をかく。

みっともない姿を見せる。

その姿そのものは、案外受け入れられる気がした。

でも、その姿を見た誰かが家族を見下すことは受け入れられない。

そこで止まった。

自分は何を嫌がっているんだろう。

出来事だろうか。

その後に起こることだろうか。

最初は、「他人の評価」が嫌なんだと思った。

でも、それも少し違う気がした。

他人がどう思ったかなんて、本当は分からない。

誰も何も言っていない。

それなのに、自分の中ではもう決まっていた。

「かわいそうだと思われる。」

「笑われる。」

「下に見られる。」

そう思われるだろう、と。

でも、それは本当に見たことがあったんだろうか。

他人の頭の中は見えない。

見えない場所ほど、自分は勝手によく見えていた。

知っていたんじゃない。

知っていることにしていた。

その違いに気づいた瞬間だった。

嫌悪が消えたわけじゃない。

少しだけ、その近くにいられるようになった。

もし今まで嫌悪していたものの中に、現実ではなく、自分が書き足した続きを含めていたとしたら。

自分は、何を見ていたんだろう。

出来事だったのか。

予測だったのか。

それとも、その二つを区別したことすらなかったのか。

ここまで来ると、嫌悪のことは少しどうでもよくなった。

気になり始めたのは、自分の見方だった。

この見方は、いつできたんだろう。

学校だったのか。

テレビだったのか。

家族だったのか。

思春期だったのか。

たぶん、一つじゃない。

何かを教えられた記憶はない。

思い出は残っていない。

残っているのは、思い出が通ったあとの形だけだった。

その形が、気づけば「ここから先は嫌だ」という一本の線になっていたのかもしれない。

その線を、自分は最初からそこにあるものだと思っていた。

人は何かを基準に生きている。

その基準があるから、一緒に暮らせる。

だから固定観念そのものを否定したいわけではない。

ただ、その基準を「世界そのもの」だと思っていた。

そのことには、気づいていなかった。

そのあと、人のことも少し変わって見えた。

怒っている人。

嫌悪している人。

心地よさを感じている人。

その感情よりも先に、その人の中に一本の線があるのかもしれない。

本人も見たことのない線が。

もちろん、自分にもある。

今見えている線だって、本当はまだ一枚目なのかもしれない。

最近は、自分の感情を否定することも、信じることもしなくなった。

ただ、少し立ち止まる。

これは本当に、今目の前で起きたことなんだろうか。

それとも、自分が続きを書いてしまったんだろうか。

答えはまだない。

でも、あの夜から、自分が気になっているのは嫌悪ではない。

目の前を見ていたつもりだった。

振り返ると、見ていたのは少し先だったのかもしれない。

そのことばかり考えている。